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執筆者の写真Miho Kobayashi

ラフマニノフとライラックの花のお話

私は個人的にラフマニノフという作曲家が大好きです。


繊細で真面目で寡黙で、あまり人を寄せ付けなかったラフマニノフ。


しかし彼がつくったメロディーと和音は、

いつ聴いてもなぜか一瞬にして自然と涙がこぼれそうになるほど魅力的です。

胸の中がいっぱいになってしまって、なにかがあふれ出しそうになってしまう感じ。


そんな作曲家、ラフマニノフの心の中にあったものとはなんだったのでしょうか。




今回は、ラフマニノフとライラックの花のお話です。




ラフマニノフは、親戚のナターリヤと結婚した1914年に、歌曲「リラの花 Op.21-5」を作曲しました。

(リラとはライラックのフランス語読みです)


《歌詞》

朝 夜が明けるときに

露に濡れた草をかき分けて

私はさわやかな空気を吸いに出かけよう

かぐわしい木陰に

ライラックの花が咲き誇るところ

私はそこで幸せを見つけたい


人生にはたったひとつの幸せがある

私はそれを見つけたい

その幸せはライラックの花の中にあるのだ

緑の枝の上に

このかぐわしい花の房の中

私のつつましい幸せが咲いている



花言葉は、

「初恋」「思い出」「友情」「青春」。


ラフマニノフにとって、特別な花でした。



彼の生家と別荘には、春になるとライラックが満開になっていたそうです。



ライラックを愛したラフマニノフ。

次のような言葉も残しています。


「音楽というものは、平和で平穏なところでないと成立しないものだ」



平和で平穏なロシアの広大な土地で、肩をすぼめることなく、堂々と、自由に咲き誇るライラックを想像していたのかもしれません。



そして1918年、ラフマニノフはロシア革命の混乱から逃れるためアメリカに亡命し、ピアニストとして活動していました。しかし作曲はしていませんでした。

その理由を次のように語っています。


「もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いてない」




ラフマニノフにとって、母国ロシアの雄大な自然は作曲の源だったのかもしれませんね。



さて、今回のお話はこれでおしまい。

もうすぐ春。

ライラックの季節がやってきます。

ライラックを眺めながら「リラの花 Op.21-5」を聴くと、また新たな発見があるかもしれませんね。




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